万寿山 聖福寺(まんじゅさん・しょうふくじ) |
|
| (写真撮影2007/1・説明文 銘板碑文等参考) | |
万寿山 聖福寺(まんじゅさん・しょうふくじ)
黄檗宗万寿山 聖福寺 興福寺、福済寺、崇福寺の「三福寺」と併せて「長崎四福寺」とよばれる黄檗宗の由緒あるお寺。 |
![]() |
![]() |
![]() |
聖福寺山門 1703年(元禄16)建立 |
聖福寺天王殿 1705年(宝永2)建立 |
聖福寺大雄宝殿 1678年(延宝6)創建 |
聖福寺山門 県指定有形文化財(昭和36年11月24日指定)堺商人の寄進で棟梁も堺の人。堺で木材を切り組み、海路で長崎へ運んだ。瓦も堺産。三門形式で持送りなどに黄檗様式の特徴が見られる。 |
||
聖福寺天王殿 県指定有形文化財(昭和36年11月24日)天王殿という名称は中国伝来のものです。左右を通り抜けとした門。中央に山門側と大雄宝殿側に背中合わせに仏殿がある。山門側が「弥勒堂」で、黄檗宗では弥勒菩薩の化身とされる布袋さんがにこやかに鎮座いている。 大雄宝殿側は「護法堂」で、守り神・韋駄天が釈迦の説法を剣で護っています。仏殿と門を兼用する独特の形式を持ちます。中門、弥勒門、護法堂などの別名がある。棟梁は山門と同じ堺の人です。 |
||
聖福寺大雄宝殿 県指定有形文化財(昭和36年11月24日指定)釈迦(大雄)を本尊として祀る仏殿。正徳5年(1715)に改築されたもの。棟梁は長崎の人。色彩は扉その他局部にとどめ、素木を主体とするが、細部に黄檗建築の特徴を表す。 正面半扉の浮彫り彩色の桃が珍しい。石造基壇上正面の朱塗り卍崩しの勾欄(手すり)は他に崇福寺媽祖堂の例があるだけ。屋根の釉薬かけ瓦は肥前武雄産であり、長崎では他に例がない。 |
||
![]() |
山門の隠元禅師の書 山門には日本における黄檗宗の開祖・隠元禅師81歳の筆という『聖福禅寺』の扁額が掲げられている。 |
![]() |
梵鐘「鉄心の大鐘」 市指定有形文化財(昭和51年12月15日) 中門にあたる天王殿をくぐり境内へ入ると。左側に鐘鼓楼がある。 |
![]() |
![]() |
![]() |
| 大雄宝殿正面半扉の浮彫り彩色の桃 | 鐘鼓楼正面の浮彫り彩色の桃 | 大雄宝殿黄檗天井 |
![]() |
キリシタン史を物語るじゃがたらお春の石碑![]() 大雄宝殿前の庭には禁教時代の悲話が秘められた「じゃがたらお春」の石碑がある。寛永16年(1639)、キリシタンの禁教政策の一環として多くの混血児と、イタリア人航海士と日本人マリアとの間に生まれたお春も15歳で母、
姉と共にジャカルタ(じゃがたら)に追放された。以来長崎の幼なじみの「おたつ」に望郷の思いを手紙に綴り、長崎へ送ったといわれている。 |
![]() |
瓦塀明治中期築造。大雄宝殿横には珍しい瓦塀がある。これは明治初期、聖福寺の末寺5寺中3寺が廃寺となる際に、廃材の屋根瓦の一部を積み重ねてできたもの。鬼瓦や様々な瓦がはめ込まれた芸術品です。 |
![]() |
映画「夏解」の舞台 瓦塀より墓地へ通じる石段を上りきりると聖福寺の屋根越しに長崎の風景が広がります。 |
![]() |
聖福寺石門 市指定有形文化財(昭和55年1月19日)長崎草創期前の栄えた大寺、崇岳神宮寺は、盛衰を重ね無凡山神宮寺として明治を迎えたが、廃仏毀釈のため寺は廃滅、金比羅神社となった。この時、仏像仏具その他仏寺に関係する一切が撤去されたが、境内に残されていた石門を明治19年(1886)聖福寺が譲り受け、現在地に移築した。中央に唐僧木庵筆「華蔵界」の文字を刻むが、木庵は明暦3年(1657)崇岳山頂の絶景を賞して「無凡山」と題し大書した。それが山頂の巨石彫られているが、この石門もそのころの建造と推定されている。 |
![]() |
惜字亭(しゃくじてい) 市指定有形文化財(昭和55年1月19日) 経文その他、寺内の不要文書類を焼却するための炉で、惜字亭という名称は大変奥ゆかしい。 |
![]() |
市川団十郎の供養塔![]() 天保6年(1835)7代目市川海老蔵(7代目団十郎)とその子8代目団十郎が、祖先の供養と子孫繁栄を祈って建てた。 |
| 万寿山 聖福寺 | |
| アクセス | 桜町電停(バス停)から徒歩約4分。路面電車/長崎駅前電停から蛍茶屋行きに乗車し、桜町電停まで約1分。 バス:長崎駅前東口バス停から中央橋、東長崎方面へ乗車し、桜町バス停まで約1分。 車:長崎駅前から約3分。長崎市玉園町3-77 |















