平成28年「長崎くんち」・出演する踊町と演(だ)し物の紹介

 ※ 380年の歴史を有する長崎の秋の大祭

  ◆ くんち事始め

◇ 諏訪神社の大祭の最初は寛永11年(1634)であった。
  寛永11年(1634)に、当時の太夫町(後に丸山町と寄合町になる)の高尾・音羽の両人が、諏訪神社前に謡曲「小舞」を奉納したのが「長崎くんち」の始まりと言われています。
◇ くんちの語源
  重陽の節、菊の節句の9月9日の「くにち」が「くんち」となったとの説が一般のようです。
◇ 国指定重要無形民俗文化財(昭和54年2月3日指定)
  長崎くんちの奉納踊りは毎年、10月7日から3日間、長崎市の諏訪神社の秋祭に奉納されるもので、奉納踊りに参加する踊町はそれぞれ永い伝統により趣向をこらした傘鉾をはじめ様々な芸能が伝承されており、長崎独特の文化的伝統を伝えるものとして重要な意義を持っています。

  ● 平成28年度・奉納踊町(おどりちょう)六ヵ町と演し物

踊町とは、その年に奉納踊を披露する当番の町を踊町と言います。現在、長崎市内に全部で59カ町存在し、7つの組に分けられています。当番は7年一巡となっており、長崎くんちの演し物を全てを観るには7年間踊場に通いつめなければなりません。

長崎くんち

※ 小屋入り順(清祓い)
  上 町  傘鉾(かさぼこ)
       上町コッコデショ(うわまちこっこでしょ)
  筑後町  傘鉾 ・ 龍踊(じゃおどり)
  元船町  傘鉾 ・ 唐船祭(とうせんまつり)
  今籠町  傘鉾 ・ 本踊(ほんおどり)
  鍛冶屋町 傘鉾 ・ 宝船(たからぶね) ・ 七福神(しちふくじん)
  油屋町  傘鉾 ・ 川船(かわふね)

  ● 上 町(うわまち)

※ <町名の由来>
 戦前の東中町と東上町の大半が戦後再編成により新たに発足した町である。上町、中町の町名は長崎初期の船着場に船津町(現 瓊の浦公園付近)が形成され、その対岸にあたる所に町が次第に開かれはじめた時、海岸より一番上の通りを上町、上町と海岸との間の通りを中町といった。この上町と中町は次第に発展し大きくなっていったので寛文2年(1672)上町・中町はそれぞれ東西の上町・東西の中町と4ヶ町に分けられた。
※ <傘  鉾>
飾(ダシ) 白木の八ツ足の上に烏帽子、鈴、前に諏訪社由緒、後に榊と金幣
    ビロード
垂模様  正絹本緞子五色唐草模様に三社紋を金糸にて刺繍。
※ <演し物>
上町コッコデショ

  ● 筑後町(ちくごまち)

※ <町名の由来>
 長崎の外町が形成される時期、博多などから多くの商人たちが続々と長崎に移住。商人の多くは筑後方面の人であった。筑後町はその人達によってつくられた町である。筑後町は、その後、次第に発展し、寛文12年(1672)には二町に分けられ東方を上筑後町、西方を下筑後町といった。現在の筑後町は旧下筑後と旧西上町の一部が戦後合併し新しく発足した町である。
※ <傘  鉾>
飾(ダシ) 岩の上に金・銀・藍・白・の玉を置き、八ツ足の上に鹿の角に草薙の剣を飾り榊ヒモロギ、八咫鏡と曲玉をあしらう。
    〆縄飾り。
垂模様  赤地塩瀬羽二重、銀糸の波に金糸の鯛散らし。
※ <演し物>
「龍踊」 青龍2頭、白龍1頭

  ● 元船町(もとふなまち)

※ <町名の由来>
 明治30年(1897)~明治37年(1904)、第2期長崎港湾改修工事により、大波止から大黒町沿岸が埋め立てられて開かれた町で、元亀開港当時この辺の海上一帯がオランダ船や唐船の碇泊地であったとされ、"元々船が碇泊したところ"という意味で元船町と命名された。昭和48年(1973)町界町名変更で元船町と玉江町の一部が合併し、従来の町名にちなんで、元船町と付けられた。
※ <傘  鉾>
飾(ダシ) 大波止の鉄砲玉(長崎市文化財)を中心に長崎鶴の港の意を表した丹頂鶴2羽に老松を配した傘鉾。
    ビロード(金糸にて元船町の町名長崎刺繍)
垂模様  萬歳文字入り亀甲翔鶴紋綴錦。
※ <演し物>
唐船祭 「唐人船」・「唐楽」・「明清楽(明清彩豊唐船祭 みんしんのいろどりゆたかにとうせんまつり)」

  ● 今籠町(いまかごまち)

※ <町名の由来>
 現在の祟福寺山門前から大光寺山門前、発心寺前、大音寺山門前そして鍛冶屋町の通りまでの通りを以前は今籠町と呼んでいた。
江戸時代初期、中国への貿易品の梱包に竹籠が使われていて長崎港の南側に竹籠の職人街が形成され籠町と呼ばれるようになる。その後さらに竹籠の需要が増し、風頭山のふもとに新しい籠町が作られ新籠町(大音寺籠町)ができた。これによって最初の籠町は本籠町(十善寺籠町)と改称した。正保年間(1644~47)新籠町(大音寺籠町)は今籠町に改称。昭和41年(1966)11月の町界町名変更で、現鍛冶屋町の内に編入された。
※ <傘  鉾>
 その昔、同町には多くの佛寺があったので、佛の住む鷲佳山の意を表し、傘鉾飾りに鷲を置いている。鷲の爪・嘴などは高価な鼈甲細工で出来ており、周囲には怒涛をあらわす白玉を配している。その鷲は諏訪神社で羽ばたいたという。
飾(ダシ) 怒涛砕けて白玉飛散する巌上に翼休むる荒鷲
    蛇 籠
垂模様  曙ぼかし塩瀬波模様染付け
※ <奉納踊り>
本 踊 長唄 「諏訪祭禮花娘物売姿乃賑(すわのまつりはなむすめものうりすがたのにぎわい)」

  ● 鍛冶屋町(かじやまち)

※ <町名の由来>
 火を使う鍛冶屋さんが集まって出来た職人町。当初の今鍛冶屋町が大きい町に発展したので、1672年(寛文12)、寛文の大改革により町域が分割され、今鍛冶屋町と出来鍛冶屋町の二町ができる(町割の背景として宮日の奉納の配分が前提に)。今鍛冶屋町、出来鍛冶屋町とも明治末期まで続くが大正2(1913)年再び合併して鍛冶屋町となる。さらに昭和41(1966)年、付近の今籠町など一部の町を吸収して現在の鍛冶屋町となる。
※ <傘  鉾>
飾(ダシ) 京都三條小鍛冶宗近と童子(白狐)が宝剣献上の場面で「からくり細工(三條小鍛冶槌を振り上げ刀を鍛える動作で、金槌を振り下ろすと、前に立つ童子の顔が伏見稲荷の御つかい狐の顔に変る)」が施されてあり、長崎名物傘鉾の一つ。
    〆縄飾り。
垂模様  前日は爪つづれ織七福神。後日は金地糸錦三社紋。
※ <演し物>
「宝船・七福神」  「本踊(長唄・賑諏訪社宝入船 にぎおうやしろたからのいりふね)」

  ● 油屋町(あぶらやまち)

※ <町名の由来>
 昔、この町の裏には玉帯川が流れていたので長崎に入港してくる本船より小舟に移された油の樽は、この町のすぐ裏に積み上げられた。当時の油は食料というより毎日の灯りとして必要品であった。油屋町は長崎一帯の油の販売権を一手に握り長崎の発展を支えていた。昭和41年(1966)、町界町名変更で八坂町、鍛冶屋町、高平町の一部が合併し現在の油屋町となる。
※ <傘  鉾>
飾(ダシ) 白木の三宝の上に稲穂を配した長熨斗(のし)載せ、その熨斗おさえに金色の宝玉を置いている。
稲穂を配した熨斗というのは奉納踊同様の趣向で実りを奉納する意を表している。
    〆縄飾り
垂模様  前日は真紅の塩瀬に金糸にて波と日の出を刺繍。後日は塩瀬に三社の御紋を金糸にて刺繍。
※ <演し物>
「川船」 紅葉に魚籠とビードロの網を配し、すすきをあしらう。これは、傘鉾の宝玉と合わせて玉帯川を現わす。

  ● 今後のおもなスケジュール

◇ 6月1日小屋入り(こやいり)
 (清祓い午前8時開始)
  踊町の世話役や出演者が、諏訪・八坂の両神社神前で清祓を受けて大役の無事達成を祈願し、この日から演し物の練習に入ります。
 打ち込み(うちこみ)
  夕刻より踊町の役員などが、他の踊町や年番町、関係先などにシャギリを伴って、あいさつ回りを行ないます。
◇ くんち稽古
  7月下旬学校が夏休みに入ってから各踊町は本格的な稽古を開始します。
  8月下旬踊町激励訪問(夕方~)
◇ 10月3日庭見世(にわみせ)
 (各踊町にて夕方より)
  各踊町の家々では、表格子をはずし木戸口を開放するなどして、家の中や庭園を道行く人に見せます。また、表通りに面した店舗などには、傘鉾をはじめ演し物の曳物、本番に使用する衣装・小道具・楽器などを分散して飾る他、出演者に贈られたお祝い品も、ところ狭しと並べられてご披露されます。
◇ 10月4日人数揃(にいぞろい)
 (各踊町にて午後より)
  演し物が立派に仕上がったことを、その町内の数ヵ所で本番と同様の衣装でご披露します。
◇ 10月7日(前日まえび)長崎くんち本番
 【午前7時 奉納踊開始】奉納踊終了後、庭先回り
  午後1時、お下り後に続いて傘鉾パレードが予定されてあります。
  ※お下り 諏訪神社の本宮からお旅所の仮宮まで、諏訪・住吉・森崎の三基の御神輿が下ります。
◇ 10月8日(中日なかび)
  午前7時 奉納踊開始 → 奉納踊終了後、庭先回り
◇ 10月9日(後日あとび)
  午前7時 奉納踊開始 → 奉納踊終了後、庭先回り
  午後1時、お上り (お旅所仮宮~本宮へ)
  ※お上り お旅所の仮宮から諏訪神社の本宮へ、三基の御神輿がもどります。
  県庁坂や諏訪神社の石段を一気に駆け上がるその姿は迫力があり、くんちのフィナーレを勇壮に飾ります。