長崎山里小学校(旧山里国民学校)

 爆心地より北約700m(銘板碑文参考)

長崎市立山里小学校:平和に関する施設・碑

現在の山里小学校

平和に関する施設・碑
  防空壕(跡)  あの子らの丘  あの子らの碑  原爆資料室
  平和の鐘  永井坂・永井桜
  旧山里小学校校舎のレリーフ(裏門)

長崎市立山里小学校(旧:山里国民学校)

現在の山里小学校

 山里国民学校(現在の山里小学校)は、爆心地から北へ約700mの場所にあり、当時の校舎は現在の運動場の場所に建っていました。
 原爆により、コの字型の鉄筋コンクリート3階建(一部、地階を含め4階)の校舎は、爆心地に面した南側が強烈な爆風を受け3階の部分が崩壊し、まもなく2階と地階から発生した火災により、校舎北側の1・2階のみを残して内部を全焼し、校舎は外郭を残すだけで窓枠はほとんどなく空洞化してしまいました。
 当時防空壕を掘る作業等で出勤をしていた32名のうち、校長以下職員26名、用務員2名が死亡。生存者は、わずか4名だけでした。このほか、三菱長崎兵器製作所の一部が北側の2教室を使っており、学徒動員で勤務していた生徒を含め多数の死傷者が出たと言われています。。
 児童の被害は、校区が爆心地に近く、通学区内には全焼または倒壊を免れた家屋は一戸もなく、死亡者も多く、一家全滅も少なくなかった。当日、児童は夏休みで登校していなかったが、自宅で爆死、火傷死したものが多かった。その後の調査によると、在籍児童数1,581人(昭和20年6月30日現在)のうち、およそ約1,300人が自宅やその周辺で死亡したと推定されています。

旧山里国民学校防空壕跡

山里小学校内・防空壕跡

 戦時中、グランドの東側と北側の崖に空襲から命を守るため、全部で20ヵ所余りの防空壕が掘られ避難場所になっていました。
 原爆投下当日、新しく防空壕を掘る作業をしていた先生方や近所の人たちがこの崖にたたきつけられ壕の中外で亡くなりました。熱線や放射線、爆風を受け負傷した人々がこの防空壕に避難したが、多くの方がこの中で亡くなっています。
 現在三つの防空壕が、裏門石柱とともに残されています。

防空壕の内部図

写真・補修、改装前の防空壕・この防空壕は図のように奥でつながっています。

 「突然警報発令もないのに聞こえてきた爆音に、平素なら「敵機何処に」と空を見上げたであろうに、(中略)その時に限って身の危険を感じ無意識に崖を飛び下り、掘りかけの壕に駆け込んだ一瞬が生と死の別れ道だった。壕の奥に「やもり」のようにへばりついた瞬間、 百雷が一時に落ちたような強烈な破裂音が聞こえ続いて言語に絶する熱風が壕の中に侵入してきた。」
 この様子は、原爆炸裂の瞬間、この防空壕に駆け込んで助かった山里国民学校の教員の林英之氏の手記の一節です。
 二度とこのようなことがないように、戦争や核兵器の廃絶を願い、平和を尊ぶ気持ちを大切にする場所として、この防空壕が残されている。
    長崎市(原爆資料館)掲示板参照

あの子らの丘(山里小学校内)

山里小学校内・平和の碑

「あの子ら」とは
 原爆で亡くなったわが子を思う母親の悲しみの声であり、原子雲の下で生き、助かった子供たちと永井隆博士の、「あの子」の死を哀しみ、平和を願う心が「あの子らの碑」をつくった。
「平和の碑」
 永井隆博士の筆による「平和を」の文字と裏側に「あの子らの碑」と刻まれています。
 原爆で亡くなった山里国民学校の教職員や児童、その親、兄弟姉妹の霊を慰め、永遠の平和を願っている。

「あの子らの碑」:「子どもたちよ、あの日死んだ友を忘れるな!」

山里小学校内・あの子らの碑

 被爆から4年目(昭和24年)の春、病床にあった永井隆博士の発案により、生き残った子供たちが体験し、目に焼きついている原爆の悲惨さを広く社会に知ってもらうため,その被爆体験を作文にまとめ、子供37名と教師2名の体験談が載せられた作文集「原子雲の下に生きて」の本が出版された。 そして、子供たちはその印税(原稿料)の一部を出し合い、永井博士の寄付と協力をえて、亡くなった友達の冥福と世界平和を願って記念碑「あの子らの碑」を建てた。昭和24年(1949)11月3日に除幕式が行われた。
 白御影石の石碑は碑銘も作者名もない。清楚な碑の中に、少女像の銅板レリーフがはめ込まれている。おかっぱ頭でモンペ姿の少女が原爆で燃え盛る炎の中でひざまずき天に向かって合掌し祈っている。亡くなった子供たちの慰霊と世界平和を祈る姿の少女の石碑です。
「永井隆博士の言葉から」
 「・・・この石碑に敬礼しろ、などと強制するようになったらだめですね。・・・この石の上に子どもたちが乗って遊んでいいじゃないですか。石碑が高かったり、細長かったりすると遊ぶのに危険ですから、ずんぐりして低い危険のない石碑にしてもらいました。
 長い年月の間には、この石碑が何のために建ったのか、分からなくなるかもしれません。でも、子どもたちは遊びながら,「この石碑の絵は何をしているのだろう。平和っていったいどういうわけだろう。むかし、何千何万の人が原爆で死んだげな、じいちゃんがそう言いよったばい・・・。」などと話し合うでしょう。
 建設者の名前だとか年月日とか、そんなものはいっさい書かないほうがいいですね。死んだ兄弟姉妹や子や親をいたむために、そして、平和を求めるためにですね・・・。」

山里小学校第二校歌・「あの子」

山里小学校第二校歌・「あの子」

 山里小学校の第二の校歌として平和を願って歌い継がれています。
 昭和24年(1949)11月3日に除幕式が行なわれた以後、毎年この日の前後に「あの子らの碑」の前で「平和祈念式」が行なわれ平和の誓いを新たにし、この時「あの子」が合唱されます。
 「あの子(永井隆博士作詞)」のパネルが、児童記念館(原爆資料室)の外壁(あの子らの丘側)に設置されてあります。

長崎市立山里小学校

所在地:長崎市橋口町20-56
アクセス:大橋電停から徒歩約10分:平和公園から徒歩約5分
備 考:団体の見学は事前の申し込みが必要です。
長崎市立山里小学校(旧山里国民学校)・Google マップ

新刊 絵本・「被爆クスノキの追憶」

絵本:被爆クスノキの追憶

人々に生きる力をくれた大樹の物語
 長崎の山王神社に今も佇む被爆クスノキは、原爆の記憶を物語る生き証人です。
 お求めは書店・ネット書店で